文字通りに良い気分で叫ぶことのできたPops heartで踊るんだもん!を思い返す。

良い気分と言う、それだけのことがこんなに楽しい。

Ah! いい気分!

クリスマスライブのニコ生で見たきりだった『Pops heartsで踊るんだもん!』。

ニコ生での視聴だったため、コールとは程遠い、口でつぶやく程度のものしか発声していなかった。

なので、映画館とはいえ、コールと呼べる程度に声を出すのは初めての経験だったのだが。

このフレーズを叫ぶのは想像以上に良い気分だった。

笑ってしまうくらいに単純な表現で、気持ちを素直に表現する。

そして不思議なことに、それが一番しっくり来て、そして楽しい。

これはμ’sのSunny Day Songの一節、『明日への期待が膨らんでいい気持ち』に通じる部分だ。

そんな共通点に、スクールアイドルの系譜のようなものを感じて、嬉しくなってしまう。

アニメ一期放送直後に『終わりたくない』ソング?

ところで今更すぎるのだけれども、この曲は全体的に『いつかこのときが終わるのなんて知ってるよ、でもそんな細かいことはいいんだよ』という曲に感じる。

今更すぎるついでにもう少し考えを膨らませてみると、これは同時期(1期放送後)のμ’sには見られなかったテーマだと気付く。

μ’sが終わりについて触れ始めたのは、アニメ2期以降である。
(ミュースタを『終わりたくない』に含めるかどうかというのはひとまずおいておく)

思えば、無印の1期放送時点はまだまだ試行錯誤・・・というか、好き勝手にやっている段階だった。

無印1期のBD特典曲(夢夢夢、アネモネ、なわとび、えんじぇー、にこぷり、花園、ろんりえすとべいべー)には『終わりたくない』なんてテーマは微塵も含まれていない。

物語自体を振り返ってみても、最終話をSTART:DASH!!という始まりの曲で締めくくったことは、まさにまだ終わりが見えていないことの象徴ではないだろうか?

いっそ、『終わり』があるということすら意識していなかったに違いない。

『終わり』への意識の違い

μ’sが終わりを意識したのは、いつになるだろうか?

ラジオを初めとした各種媒体で、時折『いつかラブライブ!が終わったときに~』なんて話題が出ることはあった。

だがそれでも、実際に2015年の12月、ろっくすすライブはファイナルライブであると突きつけられるその瞬間まで、そのことを真面目に考えていなかったヲタクが大半だったはずだ。

制作側はもう少し早かっただろう。キャストについても、1年ほど前には知らされていた、という話があったと記憶している。

だがそれでも、1期放送直後にそんな心配をしていた人なんて存在していただろうか。

あの時点ではまだ、プロジェクトが頓挫する可能性の方がよほど現実味があったというのに。

プロジェクトが始まってからアニメ放送までの期間で言えば、無印はサンシャインの倍くらいの時間がかかっている。

だが実際には、無印はまだまだ先のことなんて考えていない一方、サンシャインはすでに終わりの心配をしている。

この点からは、単にユニットが異なるという以上の違いを感じる。

スクールアイドルというテンプレートの有無

この違いは、一言で言ってしまうと、スクールアイドルというテンプレートがあるかどうかなのだろう。

このテンプレートはμ’sによって作り出され、そして『いつか終わる』ことによって完成した。

サンシャインは、このテンプレートを元にして作られている。

つまり『いつか終わる』という前提で作られている。

サザエさん時空ではないアニメ時空では、物語が進むことと、物語の終わりが近付いてくることはほとんど同じ意味を持つ。

もちろんAqoursの物語はまだ始まったばかりで、Aqoursのみんなも誰ひとりとして終わりがどうなるかなんて考えていない。

終わりを意識していないのは、このタイミングでは、μ’sもAqoursも同じはずだ。

だがそれでも、こうして『終わりたくない』というテーマの曲がBD特典曲の初っ端に採用された。

この点に、なにか、感じるものがある。

その感じるものの正体は、制作側のおじさんたちがヲタクの哀愁に訴えかけようとしている作為なのかもしれない。

あるいは、Aqoursのみんなが無意識に『いつか終わる』ことを意識しているのだ、という演出かもしれない。

あるいは、狂ったヲタクの思い込みかもしれない。

いずれにしろ、それが曲自体のメッセージと相まって、楽しい曲の中に漂う哀愁を強調する一助となっている。

むすび:偉大すぎる先達の物語。

というわけでPops heartで踊るんだもん!が楽しすぎたので、なんでだろうかと考えてみた。

この曲に感じる感情は、SDSとの共通項や、『終わりたくない』という後期のμ’sに多く見られるテーマを先取りすることによって、μ’sへの感情の一部を呼び起こしているんじゃないか。

そんなことを感じた。

要するにだいたい僕の勘違いであるわけだが、実際にそういう要素があるのは事実だ。

良くも悪くも、それがスクールアイドルというテンプレートの効果なのだろう。

現状、スクールアイドルを語る上では、μ’sを無視することのほうが不自然。

そういうことなのだろう。

だがそれも、単純に時間の問題かなとは思う。

いつかAqoursが終わるときが来れば、否が応でも向き合わざるを得なくなるのだから。

できれば、そんないつかは、永遠に来ないでほしいものだ。

けれども、そんないつかがいつかは来てしまうことを、僕たちは知っている。

ただまあ、そんないつかをいま心配していても仕方がない。

・・・なんてことを考えながら改めて歌詞を眺めた。

楽しい日はあっという間に終わるってことを
いまはまだ言わないでいて

歌詞で言われていることを蒸し返す野暮をしていることに気がついた。

つくづく今更なのだけれども。

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