公平な視点とかいう幻想

最近、人間って分かり合えないなあ、と思うことが多い。


数日ブログの更新をサボった挙句の第一声としてはおよそ似つかわしくない発言だけれども。


例のギター屋にいろいろ言ってるアカウントを見かけたのでヒョローしてみているのだが。


結局安いギターがそんなにいいはずがない、高いものは高いなりの理由がある、というところで考えが止まっているのが端々から透けて見える。


っていうか本人もそう言ってた。


その時点でなんでまだぐだぐだと文句をつけているのか不思議だけど考えるネタを提供してもらえる身としては文句などあろうはずもない。


結局、ツッコミが局所的なのだ。


案の定ピックアップで音はあんまり変わらないという部分に噛み付いていたし。


ふと思ったけど、あれは多分ピックアップは音を良くするためのパーツ、という考えが染み付いている人(つまり、ピックアップ交換に高い金を払っても構わない、ないしは払うべき、と考えている人)を見分けるための餌というか、なんというかなんだろうな。


僕は変えたことはあるけど、うん、って感じの印象しか持てなかったから。


話はそれたけども、ツッコミが局所的というのは、話を理解しようとしていないということに他ならない。


話を理解しようとするなら、細かいところの言い回しは捨て置いて、要するになんなのか、ということを取り出そうとしていなければならない。


それを細かいところにばかりこだわり、ちまちまと論破した気になっていたら、いつまで経っても話は進まない。


この辺、何が原因で変わってしまうのだろうね?

と考えると、どうにも最初の姿勢によるのではないかという気がする。

要するに、理解しようと思って話を聞いているか、どうか。


身も蓋もない話ではあるけど、受け取る人が受け取ろうとしていなければどんな話も受け取ることはできない、とするならこれほど当たり前の話もない。


その上で、話の中で誤解が生まれる可能性はもちろんあるし、それがさらなる意思疎通の難しさの原因にもなっている。


基本的に分かり合えないようにできている。


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